生体腎移植
現在、日本で透析治療を受けながら腎臓移植を希望している人は1万2000人余り。
しかし、2015年の腎臓移植件数は1661例で、そのうち1494例が生体腎移植とのこと。
※臓器移植ファクトブック2016参照
僕はその約10%の幸運な1人。
前回あけおめブログから更新出来ず、、勝手にバタバタしていました。
ここまでの僕の流れをおさらいすると。
頭痛・むくみ→腎不全発覚→入院(シャント)→転院(腎生検)→退院→透析ライフ
てな感じ。
そして先日、いよいよ障害者手帳(1級)と移植手術の為の紹介状をゲットし、いざ出陣!!
紹介状の宛先は「東京女子医大病院 泌尿器科」姉推奨の北里大学病院も迷ったが、症例数の多さで前者を選択。
この判断が正しいかどうかは誰のみぞ知るのか。女子医大に移植の予約を入れる為に総合受付へ電話するも、移植関係は専用窓口があるとのことで別回線に回される。
窓口「はい、移植相談窓口でぇす。」←ぇ?
私「あっすいません、移植の予約をしたくて電話をしました。」
窓口「紹介状はありますかぁ。」←いきなり
私「はい、持ってま••」
窓口「何科ですくぁ?」←被せてきた
私「泌尿器科です。だいたい、いつ頃から予約をいれ••」
窓口「予約は次の木曜でいいですくぁぁ?」←勝手に決めてきた
私「いや、無理です。2週間後の木曜日が••」
•••とまあ、会話内容はだいぶ割愛してますが思い出すだけでムカつく。珍しくムカついた。あの窓口のババロア。
何やら調べると専用窓口の担当者は1人らしく腎移植希望の人はまずこの入り口を通るということだ。このババロアのイニシャルはOさん。
なんだろ、たぶん毎日同じ問い合わせがあって仕事に慣れすぎてしまっているんだろうけど、患者に対して寄り添う気持ちの言葉がないし、全然話を聞かない。しかも偉そう。別にサービスを求めてるわけじゃないがこのご時世に珍しく不愉快な対応だった。この時点でこの病院をやめようと思った。そのレベルだ。
しかしここは120歩譲り、一度先生に会ってからにしようと決心。せっかくここまで来たのだからまずは会ってみようと。あのババロアは医者ではないのだからとだいぶ言い聞かせた。
姉と最寄駅の改札で待ち合わせ。
病院の入口がわからずキョドった瞬間に近くの警備員が爽やかに誘導してくれ無事到着。
受付の入り口を抜けるとホテルのロビーのような吹抜けに病院の大きさが測れた。受付の事務員さんも感じ良く泌尿器科へ案内してくれてスムーズに待合室へ。
受付番号が呼ばれ、多少の緊張を抱えながら入室。目の前には比較的体格の良い白髪混じりでメガネをかけた先生が腕を組みながら待ち構えていた。(軽部さんに似ていると姉談)威圧感はないが少々ぶっきらぼうな雰囲気があのババロアの記憶を呼び覚ます。
結果、真剣に目を見て話を聞いてくれ、ハッキリわかりやすく移植の事を説明してくれた。
その後、移植コーディネイターと呼ばれる看護師さんとも移植の同意書を交えながら更に詳しく話をしてくれた。とても心地の良い患者体験であった。
その日はその面談の最後に、適合検査として血液をドナーとレシピエントの血液採取で終了。結果は1ヶ月後に発表とのことだ。採血、9本分取られ気付けばフラフラ。。
その面談で何を話したか?
決まった方向性はこうだ。
あくまで適合検査結果次第にはなるが、ドナーは姉ではなく父親が最有力候補ということで意見が合致。理由はいくつかある。
・姉の年齢••まだ若いので余生のリスクを考えると父親の方が順当。
・女性の腎臓より男性の腎臓の方がサイズが合いやすい。
・生着した腎臓が何年持つかわからない。せっかく移植してもまた透析生活に戻ってしまう可能性も十分にある。そうなった時に姉の腎臓をいただく。
3番目の考えで姉も僕も腑に落ちた。
ありがたや〜。
誠にありがたや。
なんて希望に満ちた状況だろうか。
この幸運な状況は一体何%なんだろうか。
その検査から1週間後にフィリピンから帰国した父親とも検査のためまた来院。
という訳で父親の腎臓をいただくという状況に至る。
あのババロア事件は悪夢と幻だったんだ。
僕はこの病院に一旦、命を預ける事に決めました。
実はここ最近、食欲が薄れていた。
透析がうまく出来ていないのかなと不安視していたんだけど、今回の面談で新たな方向性が決まり、別件の正社員登用の レポートを提出した。そしたら、またご飯が美味しくなってきた。メンタルの話だった。
「目標」を英語に訳すと「GOAL」
サッカー少年からするととても馴染みのある単語だ。サッカーはゴールに向かってボールを入れる競技。そのゴールを目指すために作戦をたててチームを形成する。ただボールを蹴るだけじゃゴールは決まらないから考える。どうしたらいいかを考える。それが楽しいんだ。
何を言いたいかは雰囲気で汲み取ってほしい。笑